一緒に食べる、で満たされること

滋賀県で開催されている「『遊べる・学べる淡海子ども食堂開設準備講座』」に行くタイミングがあった。

主催は滋賀県と民間福祉関係者が分野と立場を超えた集まりとして設立した「滋賀の縁創造実践センター」、
2014年から5年の区切りを持って設立されたセンターがひっぱる「地域に子ども食堂をつくろう」というプロジェクト。

いわく、「食事を出す」ということだけにフォーカスではなく、子どもの居場所を作りたいという思いがあるので「遊べる・学べる」という言葉がついているそう。なるほど。「子ども食堂」という言葉ばかりが先行しているのが現状のよう。

団体やグループや委員の人たち「知りたい」という人が集まっていて、
・このプロジェクトの説明や貧困について
・活動されている実践報告(東近江のお母さんたち・近江八幡の社会福祉協議会)
・各自が疑問に思っていることをグループトークする、
という内容だった。

見えにくい貧困やさまざまな状況は、「どの子も大事にする」ことでもれなくカバーできる形を目指している事を強調されていた。「貧困、ひとり親の子のための食堂」というイメージを持っている人も多く、対象を絞ったりしているところもある。それを何とかしたいのだろう、と感じた。

どうすればいいのかわからない、という人もいたけれど、何がしたいのか、の答えが「子ども食堂」だったりして、それは何なのか? だれにとって、あなたにとってどうだったらいいのか? から一人一人が自分でもっと掘り下げていかないとわからんやろう、と感じたり。

大きく始めたらたくさん来すぎたから、申し込み方法を電話にしたら減ったからほっとした、というのに憤慨したり。

そういう場でいろんな話を聞くと、「なるほどー」とか「ああ、なんか違うなあ」とか感じることが出てくる。
それを集めると「自分が思っている事」になる。
いろんな人がいて、その人の数だけ考えや意図がある。形だってそう。

かつての自宅にて。ある日のお昼ごはん。友だちといっしょに自分で作って食べるの日。

「だれかと一緒にごはんを食べる」と気がまぎれたり、会話から楽しいとか元気になったとか何か感情が生まれたりする。
人それぞれだから、大勢がワイワイうれしい人もいれば、少数がうれしい人もある。

小3の次女は、たとえば1人で食べるのは音がなくて寂しい、と言う。
たくさんで食べるのは、みんなでおしゃべりできて楽しいし、と。

12月から始めた「小学生の放課後の場所」では、
「ねえ、なんか食べるもん作ろう~」
「ここのみんなでご飯食べよー」
「そのまま泊まろう」とか声が出てきた。

居心地がいい、お互いがもうちょっとつきあいたい。そう聞こえるようで、じわ~っとうれしい。
一緒に食べる、というのはそういう気持ちを満たすと思うから。
そういう記憶が残って大人になるといいな。

以前に住んでいた所で、仕事で忙しい友人の娘たちを、おいでよと誘って食べてたごはん。
ちょっと作るの手伝ったり、盛り付けたり。
子どもたちは与えられるのではなく、自分で作り出す感じを持って。
簡単なもので用意する方も気負いなく、共に食べる時間を楽しめたらいい。
そして、そういう時間を子どもたちも自分が作れることがわかればいい。

その最初の体験そのものを作るのは大人だし、練習につきあうのも大人。
全部お母さんがやれなくてもいい。だれかがやればいいんだから。
私がやりたいのはそのあたりなんだな。


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