ひとりではストーリーが完結しないお手伝い

何回混ぜたかで交代する、6歳と2歳の頃の姉妹。姉がかぞえ中。

わが家のお手伝いでは、「大人が関わらなくてもよい仕組み」

これをいつも頭に置いてきた。
もちろん、勇気づけたり、ねぎらったりはたくさんするのだけれど、毎日のお手伝いそのものにできるだけ手出し口出ししなくてもよいように、という意味で。

小さいころのお手伝い…
ひとりでできることを組み合わせて、でも、ひとりではストーリーが完結しない。他のひとの力も借りる。
そんなことをできるだけ増やすようにしてきた。
お互いに役目を果たさないと困る、というちょっとしたことだけれど、

お米を洗って炊くのは妹 → 炊けたごはんを混ぜてよそって出すのは姉
(下手な盛り方だと、せっかくじょうずに炊いたのに、と妹に文句を言われる)

ランチョンマットと箸を出すのは妹 → お皿やお椀を配膳するのは姉

お茶のコップを出すのは妹、ママはお茶かビールかと聞くのも妹(笑) → 注ぐのは姉

食器を洗うのは私(または夫) → 拭くのは子どもたち

乾いた洗濯物を外すのは姉 → 妹は自分のものを畳む

などなど。
「ちゃんとやってくれないと困る」ともめることもあるけれど、お互いに「やってくれてありがとう」も生まれる。

幼児の頃からの役割は、妹の成長でできることが増えて、今や「その時できる人がやる」に変わってきた。
けれど、ふたりで、またはだれかと力を合わせるんだよ、って部分は変わらない。
わが家のお手伝いでだいじにしていること。