「やっていれば、何かみえてきますから」 ~人生フルーツ~

滋賀日野で「人生フルーツ」を鑑賞する会、70歳代の父を誘っていきました。
5月には夫と、9月には父と、この印象的なドキュメンタリー映画を見る時間を持てたことは、とてもしあわせだなあと思います。

号泣した夫、いつもは昼寝している時間帯にもかかわらず(笑)じっと見入っていた父。
それぞれ感じるものがあったようです。

父は、こつこつ、ゆっくり…ということが心に沁みたと言って、帰るなり、庭の草とりに懸命に。

最初は苗木からだったそう。大きくなったわがやの2本のクスノキ

母を6年前に亡くしたことをしみじみと思い返していたようで、じぶんは仕事があったから、喪失感に押しつぶされずにすんだのだなあとふり返ったり。

そこにいないという喪失感はたまらなく感じるのだけれど、やるべきこと、習慣としての家事、変わりなく続けることがある。日常が吸収し支えてくれる。ということなのだろうと思う。スクリーンの中の英子さんのように。

そして、80代、90代の津端夫妻の目標(じぶんはこうするのだ)がある生き方がいい、草むしりして昼寝して大往生ってすばらしい!俺もそれがいい、と言っていた。
わたしもそう願いたい(笑)

きのうのわたしは、

英子さんのせっせ、せっせと動く手とからだ、「やっていれば、何かみえてきますから」ということばが残った。

そして、自分たちだけで何ができるのか、実験しているんです、という修一さんのことばと。

前回(過去記事:おうちがいいという安心感と人との関わりでつくる暮らし ~人生フルーツ~)に加え、自分自身にどんなことばが響くのか、とても楽しみだった。
まるでひとり占いをしているかのような映画鑑賞。

すてきな人の生き方、暮らし方からは、学びと励みをもらえる。

さいごになりましたが、
企画、実行された「ときをためる暮らし」を考える会の4名の女性の「滋賀県でも「人生フルーツ」を上映することにより、地域の皆さんと共に、人生や暮らし方などについて考えるきっかけになれば」という思いに感謝いたします。ありがとうございました。