家事が助けてくれること

家事が助けてくれること

shumei

実家の秋明菊

ブログの移行作業をしていたら、2年半前に下書きのままだったものがありました。
母が亡くなって約半年後の春休みのこと。

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「仕事から帰ってきたら、しーんとして えらい落差や。
おまけにすっきり片付いていて 何もすることがなくて
なんか胸がつまるというか息苦しいというか がくっとくるというか そんな感じがした。」

春休み、実家から私たち母子が引き上げてきた夜、父が電話口でそう言った。

騒々しさの疲れ+寂しさ・・・突然感じてしまうからちょっとつらいということ。

日常は待ったなし、母がやっていたことをすべて父がすることになるわけで。
通常のゴミだしひとつにも「明日の朝ちゃんとやらなければ」という緊張感が常にあると言っていた。
実際、父は私たちが行った最初の日、久々に熟睡したと言っていたから、母が亡くなってから、気の張る日々だったことがわかる。

日常の家事というのは実はありがたい面がある。

雑然とした中にいると、「ああ、次はこれを片づけなければ」とか「これをしなければ」と思い、目の前のことに気が向くから ココロの中と会話せずにすむ。

それが、片付いてすっきりした空間になってしまうと、ココロが向かうところを失う。
ココロはココロに向かう。母のこと、悲しい気持ちに向かう。

私もこの1週間、いつもとは違う片づけを味わってきた。
片づけてもすっきりしない片づけ。

片づければ片づけるほどつらくなる片づけがある。

そういうとき、がんばろうとしすぎないこと。
心が少し立ち上がってくるまで、時間がかかるということをわかっておくこと。

そして、時間がかかるけれど、悲しみを味わうことなしに次には進めない、ということ。

これってダイジだな、と感じました。