走る大人を支える「誰か」があるということ

先日、滋賀県社会教育委員の研究調査(現地視察)で、安曇川高校と高島市役所に行かせていただいきました。先生と市職員の方々が連携して、子どもたちに地域社会とつながる実践的な学びの機会を作っておられます。

こういう探求型学習で力を発揮するには、乳幼児期からどう過ごせばいいだろう?と思いながら、お話を聞きました。

安曇川までは琵琶湖の西を、湖西線に揺られて。心がすっとする風景に出会いました。

「子どもたちは、自分が何か役に立つ経験で変容していく」
との先生の報告から、それは、言い換えると高校生に至るまでに欠けている実践経験ということなのだと思い、ヒントになりました。

学校では、「一方的に与える」のではなく、子どもがやりたいものに出会えるまで、いろいろ見せる、刺激するということを大切にされていて、そのことが取り組まれている魅力化のベースにあると思いました。

関わる大人として求められる力は、対話しながら、持っているものを引き出す力、言語化してまとめる力。関わる力ということか。すでに、新しい指導要領のもとに、小中の子どもたちはそれを学び始めているわけで、親も急務なこと、のはず。

すばらしい先生や市職員の方がおられるのですが、印象的だったのは、それらの方々に支えになる関係性があったり、外に広がる人的つながりをもっておられること。

人との関りから生まれる刺激や、語り合いからの「関り力」のようなものが高められ、子どもたちへ発揮されている流れがあるように感じました。

地域や業種を超えた「人とネットワーク(具体的な連携)」、チーム感、異なる背景の人たちの学び合いがキーで、走る大人を支える「誰か」があって、旧来のものや地域のいろんな壁などに向かっていけるように思います。わたしも絶賛実感中。