聞く人がいる、というのは大切だなと思った話

IMG_2863

先週末の帰省のとき、千燈祭という二百二十日五穀豊穣のお祝いが神社であった。
千枚のかわらけ…素焼きの杯に油を入れ、灯心に火をつけて、村中の人がお弁当食べて酒盛りをする、というもの。

到着したとき、宴も終盤。
だいぶ消えてしまった灯りだったが、父がそれを見ながら話してくれた。

(母が)体調崩す5年前までは二人は毎年出席していて、
大阪から嫁いできた彼女はあまり好きな方ではなかった村の行事だけど、この日だけは上機嫌やった。
かわらけ(陶器)と火の組み合わせに魅了されていたと思う。

我が家の食器にも、淑子作白い小皿があるのはその情景の思いを自身の心の財産を形にしたと思う。
その千枚の割れた分の補充、何枚か淑子作が入ってる。
孫にも機会あったら話してやって。偉大な陶芸家やで。

陶芸に打ち込んでいた母の目線。
きれいだから、と一度母に誘われて、小さかった娘を連れて来たのはもう10年近く前のことだったなーと思い出した。

お祭りの翌日は母の命日。

今回、一緒に過ごせてよかった。
私たちに語ることであらためて思いを確かにしたんだろう。
バリ島に住む弟にもこの話をメールで送ってたから、父の「伝えたい気持ち」が形になったとわかった。

思い出すことがある、そういうモノがある、というのは幸せなことだなあ。
切なくて仕方ないことに変わりはないけど、
聞き手がいると、それはつらいものから温かくなるように思うから。