引っ越しがくれる 「限りがある」感

学期末で給食も終了。
長女のお弁当を作るついでに、次女と私のも作ったので
今日は8歳の次女と一緒に家で食べました。

お天気がいいと、おひさまのあたたかさを感じたくなります。

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もっと小さい時、お弁当作って、いっしょにここで食べてたね~
もう狭いね~ とかなごみつつ。

今日はどうだったの?

クラスでお楽しみ会があって~
今回は「転校する人」が何するか考えてよくて~
手作りプレゼント交換とドッジボール大会をやって~
くじびきで、わたしのプレゼントは○○くんがもらって~
わたしは△△くんの折り紙をもらって~
お手紙渡しは、時間がなくて明日になって~

いろいろ準備したり、楽しんだり、先生も粋な計らいしてくださる。

20分くらい、へぇー、そうなんやー、ほんで?
いっしょに食べて、話して。

「あ、〇〇ちゃんが来てくれる時間や~」

連日誰かが遊びに来てくれていて、家遊び。
今日は作り歌うたって、ドミノで遊んでる。

「なんかさー 家で遊ぶって 楽しいね」とお友だち。

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引っ越しが近づいてきて、あと〇日だ~と言いだした。

ここという場、ここでの時間の終わりが見えてくると
大切に思う気持ちが高まる模様。

「本当は」いつだって限りがあるのだけど、なかなか実感していないもの。
引っ越しで子どもたちが「限りがある」を体験できること、
よかったなーと思いました。