お手伝いをしたことがなかった、というママの思い

だれかの役に立ちたいという気持ちは、特別なものではなくて、もともと誰もが持っているもの。そこを受けとってもらえたか、の経験量は自分というものへの自信とか基盤とかになっていくのだと思います。

「実は私は子どものとき、お手伝いをしたことがなかったんです。」
と話してくれたのは、5歳の男の子のおかあさんでした。

家事セラピストとしての子どもとお手伝い、家事についての講座では、参加の皆さんの「今どう?」をお聞きするのですが、子どもに、を考えるとき、子どもだった自分にも思い至ることがあります。

(お話しを私なりにまとめています)

しなかったというより、させてもらえなかった。
なんかない?と聞いても、
「いいのいいの、○○ちゃんは宿題やっててねー」
「もう何もやらないでー」というぐあいで。
今思うと、子どもにごちゃごちゃされたくなかったのかな(笑)
小学校の宿題で「お手伝いをする」というのがあったときでさえ、
「表にはサインしとくから、やらなくていいよー」って。

そして、そのまま大きくなりました。

あるとき、母が入院することがあって、そのときはじめて自分が何も知らないってことがわかりました。病院に行って、母に聞きながらご飯を作ったり。それはひどいものだったんだけど。ほんと、困りました。

そのあと、一人暮らしをするようになって、自分の好きなようにぴちっと片づけたり、モデルルームのように。
思い通りに暮らしてたから、結婚して、子どものいる暮らしになって、びっくりしました。追われてばっかりで。
だから、ほんとに家族がいて家事をするってこんなに大変なことなんだーって思ったんです。

子どもにとって、お手伝いは大事だよということは耳にしていたので、すごくがんばって関わってみたりして。
でも、それが劇をしているみたいで。とても演じている自分がいるんです。

さあやりましょう!という感じで。

でも、子どもがやっていることに我慢できなくてとてもストレスです。
料理でも、手を洗わずに始めたら「手洗ってないでしょー!!!」とぎゃーぎゃー言っちゃうんです。
それで、すぐ「あ!しまったー」って思って。その繰り返しなんです。

でもあるとき、食事準備に忙しくて「あーちょっとお願い~お箸出してほしい~」と子どもに何気なく頼んだことがあったんです。
そしたら「はーい、出したよー」って言ったから「わー ありがとー」って、私、自然に言えたんです。
でね、そのときの息子の顔がほんとにうれしそうだったんです。

ああ、それなんですね。そんなふうに頼んだらいいんですね。
そのことが今わかりました。

違和感のある自分。
かつての自分の思いと、体験していないから感覚的にわからない、ということ。
でも、やらなきゃって一生懸命だったんです。
だからこそ、学びに来たし、話を聞いたらパッと自分のことに置き換えて、つなげていけた。とても聡明なお母さんでした。

もうね、ようがんばってきはったねーって抱きしめたい。
私はそんな気持ちでいっぱいになりました。
日々の中で、子どもの役に立ちたいの思いを受けとめるのは親。
気負わずに、お互いがそうであればいいな、と思うのです。