子どもは動きながら学ぶ、私の子ども観とお手伝い

私は家事セラピストになる前、子どもが家事を手伝うことを「お手伝い」ではなく、あえて「お仕事」だと言っていた。

今14歳の長女が1歳ぐらいのころ、「子どもは動きながら学ぶ」(相良敦子著)という本に出会った。
そのタイトルにビビッときて、内容にとても感動して、娘の行動を見ては「今どこ使ってるのかな? 何を感じてるんかな?」と観察するのが楽しかった。

小さな石を一つづつ並べる長女、1歳2か月。懐かしすぎて泣けるー^^

子どもには「子ども本人が今どうしてもそれがしたい、気になる」ということが年齢月齢に応じてある。
興味は頭の中だけでなく、手や指、匂い、味など感覚につながっている。
それを思う存分満たしていくことで、体の動かし方と習熟、理解が進み、次へと移っていく。
そのことそのものが「発達」ということなんだなあ、その発達は自立という方向へ向かっていくんだなあ、ととても感じ入ったものだ。

子どもたちは「よくできるようになりたい」って思っていること。
日常生活そのものが教育というわけだから、日々のことは、子どもにとって、自分の発達への大切な仕事なんだ、と。
これは私の子ども観の根っこだなあ。

数年前、家事セラピストの2級講座を受講中、「子どもが家事を手伝うこと」について意見を聞きあうことがあった。
そのとき、私を含む何人かが「お手伝い」ではなく、「子どもの仕事」という言い方をして肯定意見だったのだけれど、家事塾主宰の辰巳渚さんは

手伝う、見習う期間だから仕事ではなくお手伝い。
人は人の役に立ちたいと思っている。このことを感じること、育てることがお手伝いの必要性

ときっぱり。「自分で自分のことができる」のつぎに「人の役に立つ。人との関係性」という自立の意味が腑に落ち、「お手伝い」という言葉への自分の枠(思い込み)をずいぶん広げたのでした。

 

さて、昨夜。
「お皿ふき一緒にやろう~」という小3次女に「今忙しいねん」と期末テスト前となった中2長女。
すかさず、次女に「勉強よりお手伝いやで。そんなんすぐやで」とぴしゃり。
2人並んでさっさとやっておりました。
「いつもありがとう~♡ さすが、手早いなあ~」

「お手伝い至上主義」も伝わっている模様~