ないから作りながら 「放課後の居場所」

なかったら、まずは自分が作ればいい。
自分が大切に思う事はやってみればいい。
座って悩まないで、動きながら考える。
いろいろあるけど、失敗や気づきは改良のヒントにして、またトライ。
そうすれば試行錯誤のスピードもあがって、より早くいろいろ消耗せず何かにたどり着く。
ということは親として子どもに伝えたいことやわ、と思う。

大阪から引っ越してきて半年たったころ、「私、作りたいです、私ができることは~です。」とお願いしに行き、その2か月後の12月、スタートしました。

地区の皆さんに向けたニュースレター。全戸配布に感謝中。

昨年の4月に移ってきた町では、小学校まで集団登下校で25~30分ほど。
田園地帯の中にぎゅっと固まるように集落が「点在」していて、それぞれに距離もある。

放課後は学校では遊べないし、子どもだけで行ける児童館もない。
運動公園と言われる広い運動場はあるけれど。

「今日、いい?」よく小3次女が友達を連れてくる。
「今日どこの家行ける?」と相談している声も聞く。
親が仕事で不在でも学校の学童保育(有料)は利用せず、時間を過ごしている子もいる。

どの子も気楽に行けて、居られる場所。
スポット的なイベントではなく、できるだけ日常的に。
祖父母、親以外に相談したり、寄り添える大人が少しでも多いといい。
そういう中で育って、今度は地域を創る大人になったらいいな。

だから、あえてグループやサークルではなく、自治会にリンクしたものにしたかった。
地域を創ることに生き生きとする大人も増えたらいいな。

毎週水曜日、放課後の2時間ほど。会場は自治会館。

町の内外問わず、会った方がいいと思った方々には会いに行き、練りに練って提案書を作り、地区の福祉に関わる委員さん、民生委員さん、自治会長さんに聞いていただいたり。

誰がするか、という話は
委員だから、役だから参加、というのはやめたいので、まずは私一人で始めます、ということにした。それを見ながら、加わる人が増えたらいいなと。

大丈夫なのか、と心配の声には、一つ一つ説明して納得してもらい。
高齢化が問題の地域だし、シニアがシニアのことをして手一杯。
その上に小学生のことはちょっとねぇ、という意見も。
いつまでできる?始めた責任はどうする?とか。
自分たちは子どものころ勝手に遊んでたし、今もそうでしょ?とか。
いいことだとは思うけれど、必要性を感じない、とか。
大阪とこことは違うから難しいよ、とか。

誰もが自分の枠の中で、自分の見え方で、いろいろな感じ方をする。
だから、いろいろあってあたりまえ。
ここからがスタート。

この町で、これを絶対成功させてほしいんです、と力を込めて言ってくれた人。
今までそんなことを言うてやった人はなかった、すごくうれしいという人。
ほんまようやってくれてるなあ、ありがとうと声をかけてくれるおばあさん。
これ、何かに使えたら使ってね、と家にあるノートや画用紙を持ってきてくれた人。
来月もある?と聞く子。
ぼく毎回来るから、という子。

どんな願いがあるか、伝わってくる。

その日その場にいる大人は今は私だけだけど、ニュースレターを印刷して配る、自治会の連絡事項に入る、経費は資源ごみ回収で応援とか、新年度の補助金申請の書類を持ってきてくださったり。
それぞれの立場でやれることが持寄られて、私も支えられていると感じる。

またもや雪。田んぼは真っ白。しんしん、ずんずん

淡々と続ける中で。疲弊することなく。そういうやり方はある、ということは大阪で体験したけれど、ここでもきっとそう。

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